マルチフランチャイジー初の株式上場

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2022年 1月 8日 (土) セミナー&イベント, 調査報告 by nobu

マルチフランチャイジー初の株式上場

コロナ第6波が始まろうとしてる今日。コロナ禍中、コロナ後の多角化や新規事業探索の一助となればと思い、法人フランチャイズのFC加盟開発の第一人者であり、日本発のマルチフランチャイジーとしての株式上場を果たした土屋晃より講演をさせていただきました。

FRAXでの講演内容

こんにちは。アセンティア・ホールディングスの土屋と申します。本日はコロナ禍の中でたくさんお集まりいただきまして誠にありがとうございます。

何か皆様方の今後の経営の方針に役立つような、そういう風なお話ができればなと思っております。

コロナ禍の多角化 新規事業戦略!

まず私自身の自己紹介から少しさせていただければと思います。

私自身の略歴は、1988年に大学を卒業した後、商社に入社しまして、その後1991年からベンチャー・リンクという情報提供会社に入りました。
ベンチャー・リンクという会社は当時フランチャイズというものを全く手掛けてない会社でございまして、地銀や信金などの金融機関のネットワーク事業をずっとやっている会社でしたが、フランチャイズ事業を立ち上げるということで、そのほぼ創業期に入ったということになります。
最初にお手伝いした案件が、ベーカリーレストランサンマルク。これは岡山に本社のある会社なのですが、当時4店舗ほどしかなく、その4店舗しかなかった会社に出向という形で岡山に4年ほど住みまして、サンマルクという会社を成長させることに従事させていただきました。
サンマルク自体も4年で株式上場できましたから、東京にある元の会社に戻って来いということになりまして、戻って2つ目にお手伝いした会社がガリバー・インターナショナル。車の買取専門店ですね。当時23店舗くらいしかなかったのですが、その会社のお手伝いをすることになりました。
第4号案件でお手伝いしたのは、私自身もその後かなり深くお付き合いすることになる焼肉の牛角ですね。当時まだ1店舗しか日本になく、それを拡げるお手伝いをさせていただきました。
そういった中で約20の本部を立ち上げ、大体7社の株式上場が実現できました。

私自身はその開発の業務をやりながら、95年に自分でプライム・リンクという会社を作りまして、直営で70店舗、FCで430店舗、この500店舗の時に一度、大阪に市場があります当時のナスダック・ジャパンに株式を上場させていただきました。
プライム・リンクは2006年退任した後にアメリカのフランチャイズ本部で研修を行い、2006年に私の今の会社であるアセンティア・ホールディングスを日本で設立しました。そして2010年にアセンティア・ホールディングス・シンガポールを設立しました。
私自身は2010年から約10年間シンガポールにずっとおりまして、2020年はコロナになったこともあり、この1年シンガポールには戻っておりません。この1年はずっと日本での活動ということで、日本をメインに活動させていただいています。

マルチフランチャイジーのモデルケース

日本で最初のマルチフランチャイジー上場企業のプライム・リンク

これがプライム・リンクですね。私が95年に設立した会社ですけれども、何をやっていたかと言いますと、お手伝いしていたサンマルクやガリバー、牛角、その他さまざまなフランチャイズに加盟をしてマルチフランチャイジーで会社を成長させていくという会社でした。

特に牛角だけは当時フランチャイズ本部が非常に小さく、1都3県はレインズインターナショナルさんが展開されたのですが、それ以外のエリアの人口割合で言うと約70%の、青森から沖縄くらいまでの牛角のエリア本部の権利をプライム・リンクが買い取りまして、牛角のエリア本部として加盟店さんを傘下につけさせていただき、加盟店さんで約430店舗、直営で70店舗の時に一度株式を上場したということになっております。

自分のオリジナルのブランドは何も持たずフランチャイズスキームという流れに乗って株式上場できたという最初の会社です。

(つづく)

本内容は、2021年1月に開催されたFRAXでの講演録から抜粋しました。


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