視覚と思考。

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2011年 7月 24日 (日) 社長ブログ by Akira Tsuchiya

久々に子供と「星願」という香港映画を観た。セシリア・チャンが出ている映画だ。

香港版 「ゴースト」のようなイメージだが、こっちのほうが好きで何回か観ている。

 

主人公は目が見えない、言葉も話せないという二重苦の役をリッチー・レンがうまく演じている。

映画の中に、

「目で物を見ないでほしい。心の目で世界を見てほしい。すべて違って感じられるから」

「目は欺く、心でみる世界は美しい。自由な発想で喜びをふくらませてくれる」

というセリフが出てくる。

主役のリッチー・レンがラジオのパーソナリーティーと会話する部分だ。

 

人は、目が見えるから、理解できると思いがち。

見えないからこそ、理解できることのほうが多いのかもしれない。

 

視覚がないと、第三の目が働くという。心の目が働くという。

見えないモノ(本質)が見えるのかもしれない。

 

見えるから第一印象というものが生まれる。

見えるから偏見の色眼鏡で見てしまう。

 

昔、親に「テレビばっかりみてると馬鹿になるよ」 とよく言われた。

勉強する時間が少なくなるからそう言ってるのかと思っていたが、今よく考えると、テレビは視覚が脳に飛び込んでくる。

考える時間もなく、有無を言わさず視覚が脳に強制的に植えつけられる。

確かにテレビを見ながら考えることはあまりない。強制的に画像を脳に送り込んでいるだけだ。

想像力を働かせる暇がない。

 

同じ視覚でも本を読んでいるとき、活字を視覚で捉えるとそこから様々なシーンや場面を脳が想像する。

真っ赤な夕焼け というとその色を想像するし、藍より青く深い海というとそのようなイメージを想像する。

アジアの風景を文書で書けば、1000人が1000通りのイメージを抱くだろう。

この想像力が大事なんだろうと思う。

 

 

人間は、生きている間、眠っているか、起きているかだ。

マッキンゼー的に言うと、これでMECE(漏れなくダブリなく)だ。

 

寝ているときは、ほぼ100%視覚は働いていない。思考も働かない。

起きているときは、ほぼ100%視覚を働かせている。思考も働いている。

 

寝ているときに視覚や思考を働かせるのは無理だけど、 起きているときに視覚を働かせずに思考を働かせることはできる。

瞑想だ。

ただ瞑想を日常的に行う人はいないだろう。

 

視覚に飛び込んでくるものをすべて排除して、思考を研ぎ澄ませると 見えてくるものも、今までと違う思考、思想になることがある。

 

会議中によく目を閉じて話に聞き入る。思考が研ぎ澄まされるからだ。

本質が見えてくる。

 

海外で思うのは、言葉が通じないとき気持ちで必死に伝えようとするからよく伝わることがある。

日本にいても、日本語が100%わかっているのに伝わらないことがある。

 

うーーーん。深い。

 

結局は視覚も言葉も、それだけでは気持ちの本質を伝えられないということか?

 

ガンダムというアニメに 「ニュータイプ」というのが出てきた。

選ばれし特性能力のある新しいタイプの人種ということだったと思う。

 

日本には「行間を読む」という言葉や、以心伝心、人の考えや心を読むことが美徳とされる。

ビジネスの世界で海外と仕事しているとそんなことは言っていられない。

言葉が、視覚が、表現されたことだけが全てだから。それによって判断されるし、評価される。

 

 

わびさび。日本の伝統文化。

最近これは世界の「ニュータイプ」なのかと思うことがある。

日本人に与えられた特性能力。日本人=ニュータイプ。

 

今までより一段上の「本質を伝える方法」。 形(視覚、言葉)でなく想いで伝える。

 

そう考えると日本人も捨てたもんじゃない。

大事にしたいです。日本の心。日本の文化。

 

アセンティアホールディングス
土屋
AssentiaHoldings
Akira Tsuchiya


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